127時間 -127 Hours-/イントゥ・ザ・キャニオン


試写会に当選したぞーというわけで鑑賞してきました。(@TOHOシネマズなんば 別館)原作は未読です。
まず結論として少し書いておくと、無料で観てしまったのが申し訳ないほどに強い感銘を受け、勇気づけられました。間違いなく僕の映画史に名を残すであろう作品となったので、正式にロードショーが始まったらもう一度劇場に足を運ぼうと決めています。
ちなみに生まれて初めて試写会というものに足を運んだのですが、非常に女性客が多いのですね。席もほとんど埋まっていて、空いている状態で観ることが多い僕にとっては久々に満員の劇場で映画を観ることとなったのでした。周りの観客が息を呑むさまや目を背けているさま、感動に打ち震えているさまなどが空気感からありありと味わえて、これもまたいい体験になったなあと思いました。満席の映画館もたまにはいいものですね。
さて、本題。観た直後にツイッターの方でもあれこれ書いたのですが、言い足りないことや考えを巡らせていて思いついたことなどがいろいろあるので、あちらで書いたものに+αして、こちらの方にまとめて書き記しておきたいと思います。
【以下、内容に触れています。内容を知ってもこの映画に込められたパワーは減るものではないと思います(現に僕がそうでした)が読まれる際にはご注意を】
大前提として。この物語は実話です。大どんでん返しなどのギミックもありません。あらすじを書くとすれば「岩に手を挟まれた男がその場を脱出するまで」とわずか二十文字で収まる単純なストーリーなのです。そんな単純な物語で一本の映画が出来上がるのか?などと疑問に思う方がひょっとしたらいるかもわかりません。が、この映画はある男が生きるためのひとつの決断に辿りつくまでの過程を克明に、かつ真摯に描き出しています。その過程があまりにも壮絶、かつストーリーテリングが巧みなのでスクリーンから目を逸らすことができなくなってしまいます。この映画には主要登場人物は実のところ一人しかいません。それがジェームズ・フランコ演じるアーロン・ラルストンなのです。さらに、この映画は物語の殆どが彼が囚われた峡谷内のみで進行します。すなわちワンシチュエーション・ワンマンショーの形式で映画は進行していきます。なのですが、ジェームズ・フランコの卓越した演技とそのキャラクター性をがっちりと補強する魅力、さらにダニー・ボイルのイマジネーションが炸裂した映像世界に抜群の選曲センスが光る音楽が乗ることによりこの作品は凡百のソリッドシチュエーションものなどとは格別の輝きを放つのです。たとえシンプルなアイデアでも、作る側が題材に真正面から向きあえば素晴らしい傑作ができるという証明たりうる作品となっています。
ここからはとりわけ印象に残った場面ごとに書いていきます。
まずオープニング。疾走感溢れるダンスビートに乗せて、週末の夜の昂揚感とのちのちの伏線となる様々なポイント(電話に出なかったり、戸棚からスイス製の優れたナイフセットを持っていかなかったり)を同時に描写することに成功しています。これ以上ないほどにつかみはバッチリです。目的地に到着し、車内で仮眠を取り朝を迎えるとアーロンはマウンテンバイクで駆け出してゆきます。赤い大地に青い大空、さらにその空よりも青い地底湖とこのコントラストがほんとうに見とれてしまうほど美しく、そこを颯爽と駆け抜けてゆくアーロンは生の喜びや愉しみを余すところなく放っています。この地底湖に行く際に二人の女性に出会うのです(出会って間もなく別れますが)が、中盤彼女たちもまた重要なファクターとして機能しているのがすごくうまいな、と思いました。
そして足を滑らせて谷間に落ち、落ちてきた岩に手を挟まれてしまうのですがタイトルロゴがここで“127 HOURS”と出るのがたまらなくクールでかっこいいと思いました。ここまでがオープニングで、案外序盤に囚われてしまうのです。ここからはあれほど美しく感じていた大自然が脅威としか映らなくなってくるから不思議なものです。つい先程まで生の輝きに満ち溢れていたアーロンにも暗い影が忍び寄ります。ここからあれやこれやとトライ&エラーを重ね、それでも岩はびくともしないので彼はもはや諦めた面持ちで両親に向けたダイイング・ビデオ・メッセージを撮影し始めます。序盤の時点でこんな状態になるとは思いもしなかったので、けっこう驚きました。予告

で言うと中盤あたり、暗い面持ちでげっそりした彼がそうです。予告の最初に出てくる元気なアーロンは実は日数が経過してからの姿なのです。いわゆる予告マジックですね。
当然持ってきた水や食料にも限りがあります。もそもそと非常食(ランチパック的な)を頬張っていると(序盤、出会った女性たちにパーティに誘われた経緯があったのですが)彼はパーティで自由に呑み喰いしている情景を夢想します。ですが、彼はそのパーティの輪の中には入ることが出来ず、外側からただ見つめているだけなのです。これと同じような構図が要所要所で繰り返し登場します。水も底をつくと、やむを得ず自らの排泄物で喉を潤そうとし、さらには自らの腕を傷つけて、その血液でさえも水分として補給しようとします。前者はまだ想像の範囲内であったとは言え相当に厳しい描写だったのですが、後者は少し自分の理解の枠を超えていた行動だったのでとても強く印象に残りました。また、三大欲求の一つ、性欲の問題もきっちり描写されている(ビデオで撮影した地底湖での女性たちの姿に劣情を覚えてしまった)あたりがアーロンも聖人君子などではなく、ひとりの人間なんだということを改めて強く実感させるいい場面だったと思いました。
そして脱出。生への飽くなき欲求が妄想の形でアーロンに語りかけてきて、彼はついに決断を下すのです。この決断から十分ほどは本当に痛くて、なんども目を背けてしまいそうになりましたし吐き気を抑えるのに必死になりました。そうです、生半可なスプラッターものよりもこのくだりはキツイのです。それはおそらく劇中でのアーロンに対する感情移入の度合いがとてつもなく深くなっていたことと、淡々とキリキリ進んでいくさまがたまらなくリアルだったからなのでしょう。ですが、この先を抜ければ光が見えるのです。それがわかっていたからこそ目をそむけることなく全てを見届けることができた、という点は確かにあります。失神することがすなわち死に直結するような状況下、アーロンは本当によくやってのけたなと安堵で胸がいっぱいになりました。ここから加速度的に世界は色彩を取り戻し、場内には高らかな生命賛歌が響きわたってきます。それがSigur Rosの"Festival"です。

タイミング的にも選曲的にも何もかもがベストで、心が浄化されたような気持ちになり自然と安堵の涙が溢れてきました。元気な姿のアーロン・ラルストン本人が登場するのですが、その現在の姿がまた輝かしいのですね…妄想を自らの手で現実のものにした、という事実に心をガツンと殴られたかのような衝撃を受けました。生きていれば運命は切り拓くことができるんだ、諦めないことが肝心なんだということを改めて胸に刻まれるような、そんな思いを抱きました。
とまあ長々と書き連ねてしまいましたが、僕の文章などではこの映画の本物の魅力を一割も表現出来ていないと思います。ここまで読まれた方で仮に未見の方がいらっしゃるなら、とりあえず劇場に足を運んでみてください。美しい映像や音楽を大スクリーン大音響で体感し、周りの観客と痛みや喜びを共有することによりこの映画の本質をより強く実感できるのだと思いますから。

(10・米・英 94分 監督:ダニー・ボイルスラムドッグ・ミリオネア』主演:ジェームズ・フランコスパイダーマンシリーズ』)